【保育】この混乱から学ぶこと、考えること②
この緊急事態を機に、「こどもの人権」「幼児教育」「保育」について、じっくり考えたい。
・・・というよりも、考えなくてはいけないと思っている。
なによりも先に「休校」という措置を取られてしまった学生たち。
学ぶ権利も、友達と話す権利も、家を出るまっとうな理由でさえも取り上げられてしまった。
みんな口を揃えて「いのちを守るためだ」と言う。
でも最初から一貫して科学者が言っていることは「こどもの感染リスク、重症化リスクは低い」というものだ。
「危険な可能性はゼロではない」という人もいる。そんなことは他のウイルスだって、怪我だって、なんだって一緒だ。
その低い可能性は、増え続ける虐待や、失業による貧困家庭の増加、教育格差の広がり、人とのつながりの希薄化による孤立・・・を上回って防ぎたいものか?
職場には、とてもとても高値なマスクの営業FAXが届いた。
まっとうな理由があるのかもしれない。例えば、急にマスクを作る機械を買い揃えてマスク製造に踏み切ったとか、いつもの材料を仕入れるのにいつもと違う輸送方法が必要だったとか、夜間しか工場を動かせないから人件費がかさんだとか。わからんけど、理由を想像してみた。けど、それにしても違法な程の高値。
欠品が続いているホットケーキミックスも高値で転売する人がいるという。
なぜ、このような行動をとるのか。
「自分さえよければよい」という発想からか。
「支え合って生きている」という感覚が欠如しているのか。
自分勝手な思考や、自己満足な行動をするオトナにならないために、
誰かを思いやれたり、ともに手を取り合って歩めるオトナになるために、
コドモたちにできることはなにか。
幼児教育に本当に必要なものは?
コドモに必要なオトナの関わりはどんなもの?
コドモの育ちを支えるとはどういうこと?
トップダウンで、ただ教科書に沿って進むだけの日本の教育を変えるいい機会だ。
主体的な学びができるように。
多様性を受け入れ、共同性を育むために。
教育を、保育を、今一度考え、変えていかなくてはならない。